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2011年3月11日金曜日

東京大空襲時代・・・スカイツリーよ平和伝えて!被災の絵描き訴え

現代人が忘れてはならない過去の悲しい出来事・・・二度とあんな悲惨なことを繰り返してはならない!と思う今日このごろです。




66年前の光景を水彩画で描いた吉野山さん千葉県流山市在住
 炎と熱風に追われて川に飛び込み、亡くなった人が水面を覆い尽くす。「神も仏もない」と感じ、脳裏に焼き付いた光景を、千葉県流山市の吉野山隆英さん(80)は水彩画で描いた。世界一の高さの自立式電波塔として建設が進む東京スカイツリー(東京都墨田区)の足元を流れる北十間川(きたじゅっけんがわ)の66年前の様子。「たくさんの観光客のうち、どれくらいの人が理不尽に殺された人々の無念を知っているでしょうか」。スカイツリーから平和のメッセージを発信してほしいとの願いを込めた。

 絵を描いたのは今年2月。「スカイツリーの周辺施設内に戦災の資料館を設けてほしい」との思いで、北十間川の京成橋から見た風景を題材にした。「世界一の電波塔から、平和を願う強い思いを広げてほしい」。地元町会長を訪ね、協力を呼びかけている。

 スカイツリーの周辺は1945年3月10日、約10万人が亡くなった東京大空襲で大きな被害を受けた地域。吉野山さんが住んでいた葛飾区青戸からは、低空を飛ぶB29が焼夷(しょうい)弾を落とし、炎に包まれる下町が見えた。通っていた墨田区の本所工業学校(現本所工業高)が心配で様子を見に行ったのは11日。夢中で歩き、焼け野原に残った学校に着いた。

 ひどいやけどで横たわる人たち、響くうめき声に、「逃げるように学校を出てしまった」。その後見たのは、子供を抱いてうずくまったまま亡くなった女性、黒く折り重なり、鳶口(とびぐち)を使って物のように処理される遺体。「しっかりしよう」と自らに言い聞かせ、やっと立っていられた。

 戦後にクラスメートの半分は学校に戻らなかったという。消息が分からない友も多い。「勝つと信じて耐えたあの戦争って何だったんでしょう。残酷でむなしいだけです」

 絵は長年の趣味だったが、戦争の絵は描けなかった。思い出すのがつらかった。だが、「目をそらさないことが戦争のない時代の礎。残さなきゃいけない」と旧友たちにも勧められ、2005年ごろに初めて戦争と向き合う絵を描いた。

 3作目の北十間川の水彩画は8日から11日まで浅草公会堂(台東区)で開かれる東京大空襲資料展で展示される。吉野山さんは語り部として戦争体験を来場者に伝え、「スカイツリーを平和の象徴の塔にしよう」と呼びかけるつもりだ。「あの戦争を忘れないでほしい。戦争なんてやっちゃいけない。せめてこの思いを伝えたい」と話している。










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